実家の家族構成:父(現在80歳・現役時代は会社員であまり家にいなかった)、母(77歳・元小学教諭・自宅で小中学生向けの個人塾を開いていた)、兄(49歳・かなり重度のASDだが診断が下りたのは成人後・現在も両親と同居)、祖母(父の母・10年ほど前に他界)実家は今の家から電車で30分ほどのところ
現在は主人、本人の2人暮らし。
3年ほど前からぴよの実家とは親交を絶っていたが、数か月前やむを得ない事情で話をする機会がありそこから徐々にぴよの調子が悪くなった。
【ぴよの人生に起きてきたこと・全体整理】
① 幼少期〜思春期:家庭環境での構造的な問題
■ 家庭内での扱いの偏り
• 兄は過保護に扱われ、悩みを話すと家族会議が開かれた。
• 一方でぴよは、悩みを話しても「また変なこと言って」「嘘つくのやめて」と否定された。
• 初潮や発熱など、身体的に困っているときも兄や塾を優先して放置されることがあった。
• 家族の中で「話を聞いてもらえない存在」として扱われていた。
•両親は「賭博は嫌い」「私は法に触れることはしたことがない」と語っていたが、実際には父が子どもを野球賭博に誘い、母自身も塾の脱税行為を軽いことのように娘に話していた。
• 数回会った知人にもよく気づかれる聴覚過敏、相貌失認を数十年一緒に暮らしていても一切気づかなかった。
■ 感情の扱いが否定される環境
• ぴよが嫌なことやつらいことを話そうとすると、母は「お母さん具合悪くなってきた、話しないで」と言って会話を遮った。しかし、ぴよの知る限り兄や塾の生徒に対して同じ言葉を使っている場面はなく、この反応はぴよにだけ向けられていた。
• 家族の全く食い違う愚痴を幼少期から聞かされ、感情処理役を担わされていた。
• 幼少期にコンサートに連れていかれ、そのあと日記を書くように言われた。聴覚過敏があったため、素直に「嫌だった」と書くと「お母さんはこういう日記は嫌いです」赤ペンで書き添えられた。その後何度もコンサートに連れていかれ、日記に楽しかったと書くまで続けさせられた。
• キャンプなど同様の事例が何度かあり、「楽しかった」と書くと一度で終わるので、ぴよは嫌なことを繰り返すこと避けるため、嫌なことでも楽しかったと言う癖がついてしまった。
• ぴよが「ピアノの習い事が嫌だ」「私立の中学に行きたい」と明確に意思表示をした際、母は「ピアノはお母さんとキヨ子ちゃんの夢だった」「今からじゃいい私立に行けない」など、自分の主観だけで拒否した。母はぴよにそういうことを言っている背景を尋ねることはなく、ぴよの気持ちや希望を理解しようとしなかった。
• ぴよが悩みを相談すると、家族から「嘘だ」「また変なことを言っている」と否定されていた。一方で、家庭の空気が悪くなると母から「何か楽しい話をして」と要求され、ぴよは楽しい話がなくても作り話をするしかなかった。作り話であっても家族はそれを本当の話として扱ったため、ぴよは「本当の話は否定され、嘘の話は肯定される」という矛盾した環境で育ち、何が本当で何が嘘なのか分からなくなることがあった。
• 両親とも互いの家がかなり困難な環境だったため、何かを言うと「原因は私(両親)の親だ」「私の家はこんなに大変だったんだ」という癖がある。
■ 教育的な関わりの欠如
• 「空はなぜ青いの?」と質問しても辞書を渡され「自分で考えろ」と突き放された。
• 好奇心に寄り添う姿勢が家庭内にほとんどなかった。
• 家庭内の価値観(無神論・共産党支持思想)が強く押しつけられ、社会とのズレが生じた。
• 幼稚園の頃に、本などで学んだ(月の満ち欠けの現象をはじめて知って、親にそれを伝えようとした)ことをいうとそんなことも知らなかったと笑われた。
• 祖母は「お箸の持ち方なんて大人になれば自然にできる」と言い、箸の持ち方や米粒を残さないといった基本的な食事マナーを教えなくてよいという方針だった。母はその状況を嫌がっていたが、実際にはぴよにマナーを教えることはなく、祖母の方針に従っていた。その結果、母と祖母の教育方針は一致せず、ぴよはごく一般的な食事マナーやお礼の言い方などの常識を教えられることなく育った。
■ 家庭内の価値観の押しつけ
• 家庭内の偏った価値観を普通と思い学校などに持ち出し、周囲と衝突することがあった。
• 母の母(キヨ子)と干支が同じというだけで「キヨ子ちゃんの生まれ変わり」と言われ「キヨ子ちゃんはもっと器用だった、キヨ子ちゃんはきれい好きだった」と死んだ人と比べられた。
② 深刻な被害・危険な経験
■ 幼少期
• 祖母(鈴子)を階段から突き落とすよう母に指示された経験がある(祖母本人も生前に語っていた)。
• 母の営んでいる塾のことで、学校で塾の子の面倒を見させられたり、小学校校門の前で母とぴよが塾のビラ配りをさせられた。
■ 中学時代
• 兄が中学時代、ASD故の(当時はそういった病気への理解がなかった)授業を抜け出すなど迷惑行為を繰り返し、卒業後も代々語り継がれていた。
• 同じ公立中学へ進学予定で、小6の時中学に兄姉がいる子からそれを聞かされ「私立に行きたい」と母に言うも「今からじゃいい私立には行けない」と拒否される。ちなみに兄が進学時いじめに遭うかもしれないと思った親は家を売って引っ越しまでした。
• その結果「あの兄の妹」として入学直後から教師からの組織的ないじめを受ける。
• 希塩酸を飲まされるなど、生命に関わる危険行為。
• 内申点を盾にした強制行為(和式便器を舐めさせるなど)。
• 母に訴えても「冗談」「そんなことあるわけない」と否定された。
• ぴよは、中学のほぼ全ての先生からテストの点や通知表の評定を意図的に下げられる、テストを失くされたり書き換えられるなどの不当な扱いを受けていたが、母は教師職でありながら、その事実を確認しようとしなかった。
• 三者面談では兄の部活顧問だった先生から事実と異なる悪い評価を伝えられたにもかかわらず、母はそれを鵜呑みにし、「お母さんを騙してたのね」とぴよを責めた。
• 中学の先生から提出した作文や絵を本気でがんばると捨てられて不提出扱いにされたり塗りつぶされて0点にされていたので、わざと手を抜いていた(評価に値しないレベルのものを書くと提出扱いにだけはしてもらえたため)
■ 高校時代
• 兄からの性被害。
• ぴよが訴えてもお兄ちゃんは純粋で悪いことはできないと信じてもらえず、否認された。だがその数日後なぜか「そんなにお金が欲しいの?」と母が言い出し5000円の小遣いが2万円になる(その間の経緯は不明。ぴよからは一度言って否認されたあと親や兄を追及したり他言することはしなかった)
• 母に若い頃の写真を見せられ「お母さんはこんなに細くてモテたのよ。それに比べてあんたは…」と繰り返され、そこから10年以上拒食と可食嘔吐を繰り返すようになる。
• 娘が自分で買ったパソコンの調子が悪く販売店に持ち込んだところ、父が店員の口調が気に入らないと人通りが非常に多い繁華街の真ん中で店員を長時間にわたり罵倒。ぴよが何度もやめるよう懇願するも「お前は黙っていろ」と罵倒を続ける。
■ 大学時代
• ぴよは幼少期から、家族全員がそれぞれ異なる経済観念を伝えてくる環境で育ち、家の財政状況を正しく理解できないまま過ごしていた。そのため、それほど貧しい家ではなかったにも関わらず「家のために働かなければならない」と思い込み、アルバイトを3つ掛け持ちする生活を続けていた。
• 卒業後は、家族全員を養うため身体を売って生活するしかないと考えていた。こうした経済的不安と過労、家庭内の混乱した情報環境が重なり、ぴよはうつ病を発症し大学を中退。
• 一人暮らしを始めてから母から毎日のように手紙を送られ、受取拒否したら「受取拒否されて悲しかった」という手紙がきた。一度一人暮らしのアパート(岡山)に直接来て顔は出さずに郵便受けに手紙を投函だけして帰ったこともある。いまだに実家とは全然関係ないところから届いた手紙でも開封・確認するのに異常なほど体力と気力を使う。先日父から「手紙を近日中に郵送します」とラインで言われた瞬間パニックを起こして最終頁添付のようなラインを送り部屋中のものを壊していた。
■ 大学中退後
• ぴよがうつ病を発症していた時期、母から「子育て2戦2敗だ」「相手は誰でもいいから子どもを作って。子育てやり直したいから」などの言葉をかけられた。
• 母は勝手に結婚相談所に行き、「若いしか取り柄がないから早く結婚しなさい」と迫った。その刷り込みと家から逃げたい気持ちから、ぴよは20歳年上の男性と結婚したが、モラハラを受けて短期間で離婚した。
• 母は「うつ病の人には“がんばれ”と言ってはいけない」「“どうしたの・何が悲しいの”と聞いてはいけない」と言いながら、数日後には「がんばれ」「どうしたの」「何が悲しいの」と言ってはいけないはずの言葉を繰り返すなど、一貫性のない対応を続けた。
③ 社会的な場面での問題行動(母)
• 結婚の挨拶の場で、義母が用意した菓子盆をほぼ食べ尽くした。
• 自分に原因がある交通事故で謝らない、甥っ子が2歳の時に事故で側溝に落ちて他界したのを聞いた際「誰がそんなひどいことを!」と言う、親戚の「東京オリンピック楽しみですね」に「あんな自民党の政治イベント私は嫌いです」と返すなどTPOと一般常識を著しく欠いている。
• 娘の義母の葬儀の翌日、「姑が早く亡くなってよかったね」と言われた(皮肉ではなく本当によかったと思っていた)
• 兄のために入った障碍者の家族会で「ASDは遺伝が原因なんだって、うちは父親がASDだから」と触れ回る。
• 私は姑以外の人と嫌われたことも人に絶交されたことはないと言い切るが、「元気で引っ越しもしてないはずなのに、手紙をいくら送っても返事が来ない人とかLINEをいくら送っても既読がつかない人はいない?」と聞くと「いっぱいいる!あれってなんでなの?」と答える
④ 才能と評価のねじれ
■ 家庭内
• ぴよが小さい頃、母はぴよの日記や創作物に対して「こういう日記は嫌い」「この女の子はなんでこんなに大きな目なの?」など否定的な言葉をかけ、評価しようとしなかった。しかし、外部(学校・教師・コンクールなど)からぴよの作品が評価されると、母は周囲に「私の娘はすごい」と積極的に触れ回った。母は、ぴよの努力や才能を「自分の手柄」のように扱った。結果ぴよは受賞などをしても、極力母に伝えないようになる。
• 文章の才能を母に利用され、一から十まで添削・修正・チェックした作品が母名義で発表されていた。賞を複数回受賞したが母は娘の手助けがあったことは一切言おうとしなかった。それどころかその作品をほとんど修正した娘に対しても受賞を自慢してくる。最初にこの人は何も覚えていないのではないかと感じたのはこの時だった(3年前親交を絶ったのはこれが主なきっかけ)
■ 外の世界
• 高校の国語教師が才能を見抜き、文学賞への応募を勧めた。
• その後、うつの症状が悪化するまで賞金や原稿料だけで一人暮らしの生活費は不自由しない程度には文学賞や絵の賞をコンスタントに受けていた。
⑤ 親の反応・すれ違いの構造
■ 母の反応
• 過去の出来事を「忘れた」と繰り返し否認。
• ぴよの話を「私もそうだった」と自分の話にすり替える。
• つらかったと言ったことに対する第一声が「あんなにお金かけたのに評価も感謝もされないの?」
• 責任を引き受けず、比較や昔話で話を終わらせる。
• 娘に対してどう思うかと尋ねても「かわいい、だいすき、好きな食べ物はねるねるねるね」と幼児の時のまま時間が止まってアップデートされていない。
• 母は、読書が好きだが、読んだ本や雑誌の内容をそのまま「新しい説」として語ることが多かった。その“新説”は数日〜数週間で別の説に変わり、一貫性がなかった。例として、長男の障害の原因を「妊娠促進剤のせい」と言った後、別の日には「遺伝のせい」と全く違う説明をした。
• ぴよが『ラプンツェル』の「子どもいうこと(希望)を中断して親(自分)言いたいことを言っている場面」を見てパニックになったと母に伝えた際、母は「そんなひどい親がいるの」「ディズニーがそんな親を描くなんてどうかしている」と返し、完全に他人事のように振る舞った。
• 小学生の頃、家族旅行当日にぴよは熱を出して旅行がキャンセルになったが、2階で寝ている枕元に旅行の請求書が置かれており泣き叫ぶと、1階から母と祖母の笑い声が聞こえてきて金銭的に負担をかけたことを責められ腹いせをされたように感じた。この出来事を後年母に伝えた際、「行き違いがあったのでは」と推論がたてられたが、母は「その結論なら私は悪くない」と自己弁護に終始し、ぴよが傷ついた事実に対する謝罪やケアは一切なかった。
• 兄からの性被害を認めたときの言葉が「かわいそうに」「怖かったでしょ」のみ。加害者親として、また数十年嘘だと忘れてきたことに対しての謝罪やケアは一切なし。
■ 父の反応
• ぴよが父に対して謝罪や責任を求めて話し合おうとした際、父は「死んだら財産を全部やる」と言ったものの、数日後には「そんなことは言っていない。死んだあとお前の取り分だけやる」と内容を変えた。ぴよが「それは何の意味があるのか」と尋ねると、「お前はそんなに金が欲しいのか」と逆ギレし、話の論点をすり替えた。
その後も父の発言は二転三転し、分割相続の提案に対しても内容が変わり続けた。ぴよが求めているのは「謝罪」「理解」「責任の説明」であるにもかかわらず、父は自分の身とお金を守ることに終始し、ぴよの感情には一切向き合わなかった。
•父の発言が二転三転するため、話が成立しない・信頼できないという感覚が強まった。
•最近ぴよはワイドショーの「シニア層はいくら貯金があるのか」という特集を見ただけでパニックになる。
•ぴよが「PTSDかもしれない」と伝えても「分からん」とだけ返し、調べようとしなかった。(家にはスマホもパソコンもある)
•ラインで送ったメッセージを読まず、ラインで再三言っている単語(PTSD)に対し「PDFG?」と電話で初めて聞いたような態度を取る。
•「もう勘弁してくれ」と言い、向き合う姿勢が見られなかった。
•過去の危険な出来事を伝えても「俺だってリストラされた」と話を全く違う自分の話にすり替えた。
•娘の話を受け止めず、主語を自分に戻す会話が繰り返された。
• 都合が悪くなると「俺アホやからわからん」「日本語読めん」「検索とか分からん」
• 母への加害をチラつかせると(埒が明かないので母に電話を替わって、など)途端に物分かりがよくなり言ったことをすぐに行うようになる。
• 終始、なぜ自分がこんな理不尽な言われ方をしなければいけないのかという態度
■ 共通する構造
• 娘の話を受け止めない。
• 話題と主語をすり替える。(ぴよが話しをしているのに、私は、オレは)娘がどう思ったかについてではなく、自分は昔どうだったにすり替える。
• 娘の訴えや悲しみを自分事として受け止めない。
• ぴよが直接顔を合わせるとどんなにつらくても「楽しい話をして親を楽しませないと」というスイッチが入ってしまう
■上記の結果、今、娘が思っていること。
• ぴよは40年間、両親は上記のような的外れな対応をすべて記憶して後悔していると信じてきた。しかし実際には、母は「ほぼ全てを忘れた」と言い、父は保身とお金の話しかせず、兄の性被害や中学時代の苦しみも記憶の外側として扱われていた。
• 自分がずっと一人で家族の問題を無駄に考える役を背負ってきたことに気づいた。
•「忘れていた=私の人生を大切に扱ってこなかった」という理解に至り、今まで自分の努力が無駄になったつらさを感じている。
【総合まとめ:ぴよの人生の核心】
ぴよは、下記のような
「自分の気持ちが存在しないものとして扱われる家庭」
で長年生きてきました。
• 話しても否定される
• 助けを求めても受け止めてもらえない
• 危険な出来事を伝えても向き合ってもらえない
• 親が責任を引き受けない
• 話題をすり替えられる
• 才能を正当に扱われない
• 社会的な場面で恥をかかされる
• 家庭内の価値観が社会とズレている
• 感情や好奇心が育てられない
その結果、ディズニーアニメの『ラプンツェル』で娘の話を聞かない親を見た際、取り乱しパニックになり、それ以降、旧姓や親の名前と同じ人や実家の近所の地名を見ただけで動悸が止まらなくなる状況になっています。
また、先日(12月15日)父から「手紙を郵送します」と言われた際、母から送られ続けた手紙を思い出しパニックになりました。
ラプンツェルがきっかけになったのは、それまで自分の環境は多少困難なこともあるが普通レベルだと思い込んでいたのが、そこで自分の母がやってきたのは(娘に毒リンゴを与えるような)ディズニーの悪役レベルのことだと初めて気づいたためです(2025年10月25日・テレビ放送にて序盤のみ視聴。途中でパニックになったため中断・きちんと視聴したのはこの時が初めて)
作品について
ちなみに母の作品に関して、私が関与するのをやめて、最初から最後まで母が一人で書くようになった境目をお教えします。
文章などに興味のある方は面白いサンプルだと思います。
https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/731777415?page=2

母は「書いた時のことなんか全部忘れた。アイデアは全部降ってきた。名義が自分だから自分の作品だ。仮にそうだとして賞を返上したりしてどうするの?みんなが困るだけじゃない?」だそうです
私は自分の訴えを聞いてもらえないのが自分の国語力のなさだと思い込み、とにかく本を読み漁り国語力だけを磨いてきました。
それが加害者に利用されたのが一番許せませんでした。


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